A:柔道の歴史

A:柔道の歴史

柔道整復師国家試験に今年度(2020年)より「柔道整復師と柔道」が必修問題として加わりました。

講道館柔道八段であり、現在も早稲田大学の柔道部ヘッドコーチをしている校長の樗澤より、出題5項目の要点を記します。

A:柔道の歴史

B:柔道の理念

C:審判規定に準じた服装・態度

D:礼法

E:受け身

まず初回は柔道の歴史について

<A:柔道の歴史>

○1.嘉納治五郎について

・国際柔道連盟では、嘉納(かのう)治五郎(じごろう)により創始されたものを柔道と認めている。

・現在、国際柔道連盟に加盟する国と地域は200を超える。

・嘉納治五郎は、1860(万延元)年に摂津国菟原郡御影村(現在の兵庫県神戸市東灘区)の酒造を営む裕福な家庭に生まれ育った。

・嘉納は10歳のときに上京し、漢学、英語、ドイツ語などを学んだ。15歳で官立開成学校に入学、1877年に創設された東京大学に入学した。

・教育に対して強い関心を持った嘉納は、学生の頃から学習院で教鞭をとり、以後、高等師範学校長や文部省学務局長などを教育界に身を置き、一貫して教育の重要性を強調した。

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○2.嘉納治五郎と柔術

・身体が虚弱であった少年時代の嘉納は、体を鍛えて強くなりたいと考え、柔術を習い始めた。最初に天神(てんじん)(しん)楊流(ようりゅう)柔術の福田八之(ふくだはちの)(すけ)に弟子入りし、福田の死後は(いそ)正智(まさとも)に師事して修行を続けた。天神真楊流は絞め技、抑え込み技、関節技などに特徴がある流派であった。

・磯の死後に弟子入りしたのが、起倒流(きとうりゅう)柔術の飯久保恒年であった。起倒流は投げ技に優れた流派であり、飯久保は若くして講武所教授方を務めた名手であった。

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○3.講道館柔道の始まり

・嘉納は、起倒流柔術を学ぶ頃に、自らの身体と精神に以前とははっきりとした違いがあることを感じた。他のスポーツも試みたが、強靱な身体とともに精神的なゆとりも感じられるようになったのは柔術のみであった。

・そこで、嘉納は1882(明治15)年に、東京都下谷北稲荷町(現在の東京都台東区)の(えい)昌寺(しょうじ)に、12畳の道場を開いた。「道」を「(こう)」ずる「(やかた)」という意味で、「(こう)道館(どうかん)」と名づけ、(こう)道館(どうかん)柔道(じゅうどう)を創設した。

次は「B:柔道の理念」です。